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「ひだまりの先で」(アズヒナちゃん本)に収録されているお話のアズサ視点verです!
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多分それは急に現れたものではなくて
つもりに積もっていて、抑えきれなくなった感情だった。
「あぁ、君が例の……」
その日のアズサは軍本部に訪れていた。本来は喰う分に所属しているアズサだが、現在は養い子であるヒナのためにシフトの融通がききやすい事務方の業務をメインとしている。軍警察としての職務に誇りはあるが、どうしても出張や急な出動要請も多くヒナと多くの時間を過ごすことが難しい。なので独身男性の身ではあるが主に育休明けの女性が活用することが多い制度を利用し変則的な時短職員として勤めていた。
今日本部に訪れたのは制度利用するために必要な書類の提出のためだ。本来独身であるアズサには適応されない制度のため、定期的に本部から複数の書類の申告が求められている。面倒でしかないが、これも可愛いヒナの為、そしてヒナと過ごせるよう取り計らってくれたウタカタやナギの顔を立てるためにも我慢するしかない。正直メールでよくないか?とかこれこの間も同じ書類を提出したよな?とか思うところは大いにあるが、まあお役所仕事とはそういったものだ。使ってほしくない制度は複雑にするに限る。
もう顔なじみとなった気がする本部受付で書類を提出し、空軍本部に帰ろうとする、その時。
あぁ君が、と声を掛けられた。
声を掛けてきた男は一見優し気な、しかし鍛えられたことがよくわかる身体をもった男だった。身に着けたる黒い軍服には、アズサよりもずっと上の位を示す勲章が飾られていた。
アズサはすぐさま敬礼のポーズをとるが、相手は硬くなることはないよとゆるりと微笑み、
「君と話がしたかったんだ。すこし時間をいただけるかな」
「……了解」
上官に逆らう理由もなく、アズサは男に従った。
連れられた先は受付本部から少し離れた小さな会議室だった。上官は君もかけたまえとソファに座り、アズサも従い向かい側に腰掛ける。
言われるがまま従ったが、はて。アズサにはいったいこの男が何の用事で声を掛けてきたのかが理解できなかった。基本昔から上官からの覚えはよくはないが、呼び出しを食らうようなことはしてこなかった……はずだ。
「まあそう硬くならないで、ただ僕が君と話がしたかったんだ」
「自分と話、ですか」
「うん、ずっと君のとは気になっていたんだ。軍学校時代から君の優秀さは聞こえていたよ。座学体術どれも優秀で、学年でも頭一つとびぬけていた。それに海軍警総隊長でもあるウタカタ隊長の秘蔵っ子あるとね。だから君も海に所属るのかと思っていたけれど、空に来てくれた時は驚いた、それ以上に嬉しかったよ。
その後もアサギリくんの下で功績もあげてくれてくれて、僕は勝手ながら君の活躍に期待していた」
「お言葉は大変ありがたく――」
「だからこそ、勿体ないと思うんだ」
……は?
「なに、を」
「なにもかにも、君はだ若い。子供がいなければもっとキャリアをつめるだろうに、他人の子のために育休だなんて。君はもっと上に行ける人なんだ」
何をいっているのか理解できない。どこまでも穏やかで優しい顔で、アズサが理解できない言葉を吐き続けている。
「それにその子供はいざ結婚するときに邪魔になるよ。君はまだ若いしやり直せるんだ。もし考え直してくれるなら、私がその子の養子先を探してもいいし、なんなら君に私の娘を紹介しよう。娘も君なら気に入るだろう」
アズサの表情が固まったことに気付くこともなく男の理想を語っていく。男からはどこまでも真っすぐ、優しく、紳士的に、アズサへの好意しか伝わらないのに、アズサのためと言いながら、アズサの大切なものを見下していく。
長々と男は話を続け、最後によく考えてくれ給えとアズサの肩を叩きながら会議室を出ていった。アズサは男が去っても立ち上がれず、ただぐるぐると男に対する不快感や苛立ちを募らせるばかりだった。
会議室から出た後の記憶は曖昧だ。男の言葉がずっと耳に残り禄に仕事に集中できず、事務方の先輩からは定時でもう帰りなさいと声を掛けられる始末。
うまくいかない苛立ちや、自分の大切なものを踏みにじられた不快感と怒りがじりじりと胸の内を焼いているのがわかる。だがこれは男にぶつけても意味がないものだ、下手に問題を起こすわけにはいかない。この感情を抑えるためにも、早くヒナとホムラの顔が、アズサにとって大切な二人の顔が見たかった。
帰宅をすれば珍しくリビングに二人、なにか話をしているようだった。テーブルにはパンフレットや書類が広がっている。
「とと、おかえりなさい!」
「王子、おかえり~~。おつかれ?」
「ただいま。いや、大丈夫だ……その資料は?」
ふと、嫌な予感がした。広げられた資料には学校が広げられている。そういえばヒナはもう10歳を超えたんだなと頭をよぎる。
「あのね、とと、ひなね」
ヒナがいじらしくも、はっきりと言った。
「ひなね、中央の学校に行きたいの!」
「――――あかん」
低い、声が出た。
さっとヒナの顔が青くなる。けれど言葉は止まらない。
「中央の学校なんて、遠いやろ」
「せやけど王子、わりと中央の学校に行く子が多いみたいやで?そのための寮とか一人暮らしのサポートとかは多いみたい」
先にヒナから話を聞いていたらしいういが言う。だが余計にそれが苛立ちを誘う。
「寮生活なんてろくでもない。そんな遠いところいかんでもええやろ」
「とと、あの、みーちゃんたちと今日お話ししててね、先生もちゅーがくは考えないとって」
「だから、ヒナちゃんはこの家から通えばいい」
苛立ちが止まらない。ヒナが怖がっていることがわかるのに、優しい声が作れない。
「王子がおひぃさんが心配なんはわかるけど、おひぃさんの話ももうちょっと聞いてあげてもええんちゃう?」
呆然と何も言えないヒナの代わりに、ホムラが責めるように声をかけてくる。それがまた腹立たしい。
「確かにちょっと遠いかもしれんけど、同じイッシュ地方やし。それに家から通える範囲やとほぼ小さな学校か専門学校くらいしかないやろ。近所さんにも聞いてみたけど殆ど中央あたりに進学する子が多いし、サポート制度とかも充実してるみたいやで?少し早いかもしれんけど、おひぃさんも独り立ちの準備をしたって」
「――うるさい」
「……王子?」
どうしてそんなことが言えるんだ。一度は抑えられた苛立ちがふつふつと湧いてくる。知ってるくせに、お前は知っているはずなのに。
「寮生活なんてろくなもんちゃう。友達ともあえんわけちゃうやろ」
「それはそうやけど……」
男の声がよみがえる。何が学生時代から優秀だ、なにが秘蔵っ子だ。ただただ技術を磨く時間でしかなかった軍学校での生活を思い出す。今思えば自分は周囲の人が嫌いで、一緒にいたくなくて、つらくて。だからうい、ずっとお前と一緒に過ごしたかったのに。
「でもな、王子」
諭すようなホムラの声。嫌だ、聞きたくない。ホムラに否定されたくない。ただその一心で、アズサは言葉を吐き捨てた。
「学校にも禄に通ってないお前には関係ないだろ――ヒナちゃんの家族でもないくせに」
「――――」
ホムラの顔が凍る。きゅっと唇をかみしめて、普段の飄々とした顔を崩した、はじめてみるホムラの顔。
「――うい、」
名前を呼ぶことすら拒絶され、家を出るホムラを引き留めることもできず。
ただホムラを深く傷つけてしまったことに動揺するしかなかった。
ホムラが出ていった後もアズサは動けなかった。喧嘩なら何度もしたことがある、けれど。今回のこれは喧嘩ではない。一方的にアズサがホムラを傷つけて、そして多分、初めてホムラから拒絶された。その事実をうまく呑み込めないアズサに、克を入れたのは養い子の悲痛な声だった。
「ととのばか!!きらい!!もうしらん!!」
涙をこぼしながら家から駆けだすヒナに、身体が自然と追いかけようとするが、家からでる直前に立ち止まってしまう。
ああ、傷つけてばかりだ。ヒナには怖い思いをさせて、泣かせて、嫌いと言わせてしまった。ホムラにも酷いことをした。ホムラ自身にはどうしようもないことを、八つ当たりで言ってしまった。
善意からアズサの大切な人を踏みにじっていった男と思い出す。あの男よりもきっと、今のアズサのほうがずっとずっと酷いやつだ。大切だと自覚しながら、大切な人を二人も泣かせて。そんな自分に、追いかける資格はあるのだろうか?
悩んで、考えて、答えは出ない。けれど
「迎えにいかな……」
それはどちらに向けた言葉だったのか、アズサにもわからない。
ただ扉を開けて暗闇に駆け出したアズサの背を、追い風が押した。アズサの行動を肯定してくれるような、優しい風だった。
郊外にあるアズサの家の周囲は外灯も少ない。星の光を頼りにアズサは走り続ける。
自分はどうしてヒナの話を聞かなかったのか。どうしてホムラが傷つくようなことを言ったのか。どうしてすぐに追いかけられなかったのか。そもそも昼間、どうしてあんなにも苛立ったのか。一つ一つ走りながら考える。自分の心を向き合っていく。自分の答えを見つけないと、ふたりを傷つけてしまう。
昼間の男の何が嫌だった?――ヒナのことを邪魔者扱いしたから。いやそれだけじゃない。キャリアの話が図星だった?そんなはずがない。キャリアはどうでもいい。最悪、軍部を止めたってかまわない。あの男はなにを言っていた。ヒナのことだけじゃなくて、そう、たしか
(「なんなら君に私の娘を紹介しよう」)
これだ、この発言だ。嫌だった。アズサにはういがいるのに、ホムラとヒナがいれば十分なのに。だがアズサは男に何も言えなかった。ヒナについては言える。法的な手続きもしてアズサの娘として引き取っている。だから家族と胸を張って主張できる。けれども、ホムラは違う。ホムラはアズサの恋人だ。ほとんど一緒に暮らしているし、ヒナもホムラに懐いていて、家族だと思っている。けれどそれはあくまでアズサから見た話なのだ。世間一般的にはホムラはただの幼馴染の男でしかなく、なんなら昼間の男はホムラの、同性の恋人の存在など頭にも浮かばないのだろう。当然だ。ホムラは正式に同居しているわけでもないため、アズサが本部に提出する書類にホムラの名前が載ることはない。アズサとホムラの間に法的に、何か世間に示せる繋がりがあるわけじゃない。
多分その事実が悔しくて、やるせなかった。だからこそういを傷つけたあの発言につながったのだと理解して――アズサは自分の愚かさに吐きそうになった。
自分の感情すら制せない未熟者。大切なものを傷つけてしまう愚か者。アズサの心情を反するように、周囲の闇が濃くなっていく。自分にヒナを、ホムラを、追いかける資格はあるのか?自分に問いかけても答えはでない。
「……ん?あれは」
闇が濃くなっていると思ったのは気のせいではなかった。ふと空を見上げれば暗雲に覆われ星が見えなくなっている。雨雲にしてもおかしい。今日は雨が降るような天気ではなかったはずだが。
「まさか……ヒナちゃん?」
これはヒナちゃんが呼んだ雨雲ではないか?一度思えばそうとしか思えなくて目を凝らす。一瞬の光、おそらく稲妻。それも雨雲の大きさに反してとても狭い範囲で飲み発生している。間違いない、稲妻の下に、ヒナがいる。
恐らくホムラも同じ場所に向かっているだろう。あの男はヒナに甘いから、泣いているヒナを放ってはおけない。なら今のアズサに出来る事は、一刻も早くあの稲妻の下に向かうことだけだ。
未だ自分の中で答えは出ない。けれど2人を手放すつもりはない。それだけは迷いない、アズサの心だった。
「ヒナちゃん……ヒナちゃん……!!」
しゃくりをあげる幼子を抱きしめる。自ら作り上げた雨雲の下、独り泣き声をあげる子供が痛ましく、そこまで追い詰めた自分自身が嫌になる。けれど、
「おひぃさん、あぁ、よかった……」
心底、安心したのだとわかるホムラの声に泣きそうになる。ホムラは裡に入れた者には全力で尽くす。ヒナにもホムラの心が声から伝わるのか、打ち付けていた雨が少し穏やかになっていく。
「ヒナちゃん、話きかんくって、怒鳴って、ごめん……」
「うい。も――…………傷つけて、ごめん……」
ごめん、と何度も繰り返す。二人を追いつめ傷つけてしまったアズサが今すべきなのは謝ること、そして
「ひな、も……ごめんなさい。嫌いってうそや」
「ととも、ほむのことも……だいすきやから……!!」
しっかりと相手の気持ちを聞いて、真摯に受け止めることだ。
「うん、わかっとるよ。ヒナちゃんの大好きって気持ち、伝わってるから……だから、話そう。今度はちゃんとお話を聞く。怒ったりしない」
「ヒナちゃんの気持ちを、俺に教えてほしい」
嗚咽まじりに喧嘩が嫌だった、冷たくされるのも嫌で、アズサとホムラの喧嘩も嫌だったと語られて、本当にまだまだ幼いヒナちゃんに負担をかけてしまったのだと罪の意識に苛まれる。
「……かえりたい」
アズサとホムラ、二人のいる家に帰りたいと泣くヒナちゃんが愛しくて、強く強く抱きしめる。
「帰ろう――俺たちの家へ」
「――俺と一緒に、帰ってくれ」
うい、と。ヒナを優しく見守っていた男はアズサの懇願に濡れた声に「しゃあないなぁ王子は」と呟いた。
ヒナを間に挟んで、右にアズサ左にういと三人で並んで夜道を進む。ほむが迷子になったらあかんからとぎゅっと強くういの手を握るヒナが可愛らしく、そこにホムラが何処かに行ってしまうことに対する恐怖が見えて痛ましさがある。大丈夫と安心させるようにホムラが話しかけるその横顔からヒナちゃんに対する慈しみが見えた。その二人の姿にアズサは想う。
――ずっと、ずっとこの優しさを、慈しみを、愛しさを守り、一緒に生きていきたい――
もう二人を傷つけないように、離れないように。そんなアズサの願いを見守るように、夜空には美しい星々が輝いていた。